
生まれたときからあるものには、人は深い関心を持たないようだ。
例えば静岡県の富士市へ行って、
「きょうは富士山がきれいですね」
と声をかけると、
「貴方は何所から来なさったかね」
と尋ねられるという。地元で生まれた人は、富士山がそこにあって当たり前のことで、日常は気に留めていないのだろう。
私たちが日々過ごしている住まいについても同じことが言えるのではなかろうか。
日本の家屋は、古来「木」を素材にしている。
なぜ木なのか。

日本の気候は、夏は湿度が高く、冬は逆に空気が乾燥する。木は、夏の高温多湿期には湿気を吸い取り、冬の乾燥期には含んだ湿気を吐き出す。それは、木の中に通っている木管が呼吸をしているからだ。さらには木管が空気層となって、断熱の役目も果たす。古い家が、屋根を藁(わら)で葺いていたのも同じ原理である。日本の気候では、木と藁を素材にすることで快適に生活できる、という古代人からの知恵なのだ。
私は、建築関係の方から「日本家屋の原点は木と藁である」という理由を、このように聞かされた。確かに竪穴式住居は木と藁で出来ている。歴史的な裏づけも加わって、納得させられた。つい最近までそれ以外の疑問を抱かずにきた。
ところが、三年くらい前から縄文・弥生時代に興味を持ち、遺跡を見たり資料を捲ったりしているうちに、古代人の知恵ではないのではないかと思い始めた。
まずは、これまでに発掘された遺跡の中からは、「石の家」とか「土の家」といった住居跡は発見されていない。木より以前に、石や土も素材として比較検討した歴史的形跡がないのである。「日本の気候では、木と藁が快適な住まいの素材」という古代人の経験則説は怪しい。
次に、縄文や弥生の古代人に、木や藁に湿度調節機能、断熱効果があることが理解できたであろうか。涼しいとか暖かいということは体感したとしても、それが素材によるものであるとの認識までには至っていないはずである。
ではなぜ木と藁の家なのか。私なりに一つの推理を組み立ててみた。
狩猟と採取で生活をしていた時代、人々は低湿地を避け、比較的乾燥した高台に住んでいた。そこには森があって、獣が獲れ、木の実が採取できた。やがて、食料の安定的確保のために木を植え、森を広げて木の実を多く採取できるようにした。
これらは、青森の三内丸山遺跡を見ても明らかである。
稲作が伝わってくると、人々は低地に集落を築き始める。水田を造るには、穏やかな流れの川から水を引く必要がある。そのような川は、深い森から流れていることに気付いたのであろう。人々は、治水のために植林に励み森を造った。そうしながら新田を開発し、生活の安定を図ったと想像される。
このように、古代人は、より豊かな生活を築くために、森を造り続けてきたのではないだろうか。
ご存知のように、森林を育てるには伐採もしなくてはならない。古代人の回りには、木がゴロゴロしていたであろうと思われる。
弥生時代の遺跡といわれる登呂遺跡からは木製の生活用具が多く発掘されている。田の畦が崩れないように、丸太や矢板が打ち込まれている。鍬(くわ)、鋤(すき)などの農耕用具、田植えの時に履く田下駄、食器や煮炊きに使うヘラなどすべて木製である。木が人々の生活に密着していたことがわかる。
自分たちが造った森には木がある。山にはススキ(萱)が、川や池には葦(あし)がたくさん生えている。稲刈りの後には藁も残る。これら身の回りにある豊富なものを使って家を建てた、と推測して間違いないと思う。
木や藁で造った家は、日本の気候に適っている―。そう解明されたのは後世のことであって、実は古代人が造った森の、副産物の一つだったのではないだろうか。
日ごろは何気なく見たり使ったりしているものにも歴史がある。歴史を紐解くと、玉手箱から白い煙が出るようにロマンが広がる。